唯酒無量,不及乱 の記事で10集の朱允の温情処置のきっかけを読み解いてから、 彼は本来どうすべきだったか、を考えていたのだが(一日中こればっかり考えているわけではないが)、『韓非子』や『兵法』を開いて考えれば考えるほど腹が立ってきた。
なんで、丞相は朝廷の意向に反して難民を追放し、事件の真相究明を怠り、刑部に公文書偽造させてたのに、口頭注意ですむのか。
なんで、文韜は難民の生活拠点に放火したのに、咎ないばかりか、土地まで得られるのか。
ここは信賞必罰でいかなくてはいけない。そうでなければ臣官人民にしめしがつかない。
今回の処置は全然効果ないし、裏目に出るし!
酔っ払いの思いつきなんてあかん!
もう、物語がさっさと片付いちゃってもよかったから、こんな手ぬるい処置をすべきではなかった。
この挿話は「仁で人を治められるか」という実験だし、
DVDの中のコメディなんだし、このお話の人たちはみんな将棋の駒のように思想や言葉を体現するよう動かされてるんだし、物語には起伏も必要だし、・・・そう言っちゃあ身もふたもないのだが。
-----
君子务本,本立而道生。
『論語』巻第一 学而第一:
君子は本(もと)を務む。本立ちて道生ず(しょうず)。
君子は根本のことに努力する。根本が定まると(進むべき)道もはっきりする。
-----
・・・ほら、『論語』の有子だってこう言ってる。
ほんとうに「仁徳」で統制していたらきっと違う結果になっただろうけど、上辺だけの仁をなぞるのは、良くない。
この憤りのエネルギーをしばらく中国語の勉強に注ごうと思います。
重要なお知らせ
1 年前
|