▼1集 ~ 7集
小龍蝦は、住むところを追われた難民を救いたいと思い、
イカサマ賭博でもうけた金を彼らに与え、雲南国王子白雲飛から盗んだ財宝で粥棚を作り、住居・食べ物・医薬までまかなう安民村を作る。
皇上朱允は当初、行政対策を文章に任せていた。しかし、小龍蝦の資金調達のための盗みに乗じて摘発した斉国候の財宝を「国家のため、難民援助のため」と斉国候に認めさせ、大鉈を振るった。これによって難民の生活が安定する。加えて、小龍蝦の行動に共感した離恨天の静修らが資金援助し、白雲飛がさらに荘園と資金を提供する。
ここに投入されているのは、チンピラ万人敵らの人力であり、斉国候の裏賭博資金や軍資金であり、軍力を誇る雲南国財源による膨大な結納金であり、反朝廷組織:離恨天の資金と人力であり、朝廷の行政力である。彼らは小龍蝦の行動の結果、図らずも善行に加わることになる。
一見小龍蝦は他人の懐や力を利用しているようだが、実際には、苦しむ人を救いたいという善心から生じる行動で、少なからず彼らの心を動かし難民の助けに加わらせているのである。
別の混乱を引き起こすため誤解されている小龍蝦の人柄や行動を、皇上朱允は安寧公主や太后に説明する。説明するシーンそのものはないが、全体を見通す彼の説明は、「小龍蝦は難民のために村まで作った」という単純なものではないはずである。
▼3集
粥棚で人を助けているのは、粥棚を仕切る万人敵や、白雲飛の財宝を金に換え難民に分けた小龍蝦自身だけでないと小龍蝦は言う。
小龙虾: 其实做这善事的也不算是我了。
白云飞: 那是谁?
小龙虾: 他(白云飞)!
白云飞: 我?
・・・・・你那我家的珠宝做善事吗? 这些珠宝换成粥最好了。能救一些人命,太值了。
以下、『論語』から。
子貢曰、
如能博施於民、而能濟衆者、何如、
可謂仁乎、
子曰、
何事於仁、必也聖乎、堯舜其猶病諸、
夫仁者己欲立而立人、己欲逹而逹人、
能近取譬、可謂仁之方也巳。
子貢が曰く、
如(も)し、能く博く民に施して、衆を濟(すく)わば、何如(いかん)。
仁(じん)と謂うべきか。
子、曰(のたま)わく、
何んぞ仁を事とせん。必らずや聖か。
堯(ぎょう)舜(しゅん)も其れ猶(な)お、諸(こ)れを病(や)めり。
夫れ仁者は己れ立たんと欲して人を立て、己れ逹せんと欲して人を逹す。
能く近く取りて譬(たと)う。仁の方(みち)と謂うべきのみ。
※子貢=孔子の後継者、財産家として知られる。
※堯(ぎょう)、舜(しゅん)=ともに古代の理想的な聖天子。
『論語』[雍也第六]:
門弟の子貢が尋ねた。
「もし、多くの人たちに恩恵を施して救済することが出来たら、仁といってもいいですか。」
孔子が答えた。
「仁どころか、聖と呼んでいい。堯や舜のでさえ、なおそれを悩みとされた。
そもそも仁の人は、自分が立ちたいと思えば人を立たせてやり、
自分が行きつきたいと思えば人を行きつかせてやって、
他人のことでも自分のことのようにひき比べることができる。そういうのが、仁の手立てといえるだろう。」
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